大人になっても知りたがり
知識を『まったり探求』している
タクヤの備忘録です。
太古の昔から今に至るまで、日本には「八百万(やおよろず)の神」がいるとされてきました。日本人は無宗教とか無神論が多いと言われがちですが、実は日々の暮らしの中に、神道(しんとう)の要素が深く息づいてる。
たとえば「いただきます」「ごちそうさま」も、命や自然への感謝から生まれた言葉ですし、
初詣でおみくじ引いたり、神頼みしたり、仏壇に手を合わせたり、節分で豆まきしたり
──こういう行動は、特に信仰を意識してなくても自然とやってる。
つまり、生活様式に落とし込まれていてて「気づいてないだけで、みんな八百万の神と共に生活し、生きてる」ってことなのかもしれない。
八百万の神
かつて、日本列島には「八百万(やおよろず)の神」が息づいていた。
山には山の神、川には川の神、家には家の神。自然のすべてに神が宿るという感覚は、現代人にとってはファンタジーにも思えるが、それは決して空想ではなかった。
《事実》
日本神話の根幹は、『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)に記されている。これらは、奈良時代に朝廷が編纂したもので、政治的意図や支配正当化の要素を含むとされるが、それでもなお、日本人の原型とも言える世界観が凝縮されている。
例えば、『古事記』冒頭に描かれる天地開闢(てんちかいびゃく)。混沌とした世界に最初に現れた神「アメノミナカヌシ」を筆頭に、高天原(神の国)の神々が現れ、イザナギとイザナミが日本の島々を産んだという物語。これが日本列島誕生神話だ。

《憶測》
この天地創造の物語には、量子物理学や認知科学の構造との共通性を指摘する声もある。
「無から有が生まれる」という構造は、量子真空のゆらぎ(virtual particle fluctuation)や、観測者が現実を確定させるという量子力学の基本概念(観測問題)と類似している
(参考:ブライアン・グリーン『宇宙を織りなすもの』、ナッシム・ハラメインの統一理論)。

神道という無宗教
日本人は宗教心が薄いと言われがちだが、それは「信仰」が生活の中に溶け込んでいるからとも言える。
《事実》
神道には、明確な教祖や経典が存在しない。組織的な布教も行われない。これは宗教としては特異な形式で、世界でも珍しい。
神棚に手を合わせ、初詣で願掛けし、葬式は仏教式。こうした信仰と習慣の混在を「無宗教」と捉えるのは、むしろ西洋側からの視点にしかすぎない。
《憶測》
神道は、自然信仰から始まり、祭祀(まつり)を通じて、目に見えないものを敬う文化を育ててきた。虫の声を“音”として感じる日本人の聴覚感性(参考:小泉文夫『日本音楽の特質』)は、この精神構造と一致している。西洋では虫の声を雑音と捉える文化が多く、これは脳の情報処理の仕方にも関係する。
《日本人が虫の音を言語として聞く》について詳しく書いた記事↓
日本語に宿る力
《事実》
日本語は、音とリズムに意味がある言語だ。例えば「いただきます」「おかげさま」「もったいない」などの表現は、言葉の中に倫理や感謝の概念を含んでいる。
国際的な研究でも、日本語の五十音が持つ周波数やリズムが、ヒーリング効果を持つというデータもある(参考:ジョン・スチュアート・リードの音響研究)。

《憶測》
「言霊」という考え方は、古代日本人が言語を音の振動として捉えていたことを示唆している。これはシュメール語やヘブライ語といった
“失われた聖なる言語”との共通性も指摘される。実際に、日本語とヘブライ語の類似性を研究する書籍も複数存在する。
また「言霊(ことだま)」によって世界を創るという発想は、日本古来の神道的世界観に根ざすものであり、現代の認知科学や自己言語化理論とも親和性が高い(参考:山本健造 、苫米地英人)。
ヤマトの精神とは何か?
日本人の精神性を語るとき、「大和魂」という言葉がしばしば使われる。これは単なる愛国心や郷土愛を指すだけでなく、自然と共に生き、目に見えないものに感謝し、和を尊ぶという、独特な価値観を指している。この「ヤマトの精神」がどこから来たのか──そこにはさまざまな仮説が存在する。
《事実》
日本には縄文時代から1万年以上続く定住文化があり、農耕や漁猟を中心に自然との共生が当たり前だった。また神道は、特定の経典や教祖を持たず、森羅万象に神が宿るとする汎神論的な信仰。このような思想は、極めて長い年月をかけて日本人の心に根付いてきた。
《憶測》
「Dの意思」や日ユ同祖論との関係である。これは陰謀論として切り捨てられがちだが、一部の考古学者や歴史研究家は、シュメール文明や古代イスラエルとの文化的・遺伝的な繋がりを探っている。
「Dの意思」という謎めいた言葉は、フィクション作品(例:ONE PIECE)を通しても広まりつつあり、「何かを受け継ぐ者」「血の記憶」という象徴としても扱われている。
DNAを遡ると日本人とユダヤ人が同じ祖先で、アフリカを先祖としない、突然現れたグループDに属ている。
さらに《憶測》ではあるが、天皇家のルーツに古代イスラエルやシュメールの影響があるのではという説も存在する。皇室に伝わる三種の神器の形状や意味が、シュメール神話に出てくる神器と酷似しているという指摘もある。
また、日ユ同祖論を支持する一部の研究では、ヘブライ語と日本語の音の一致、祭事や風習の類似性(例:祓い清め・贖罪の儀式)、ユダヤの失われた10支族の行方が極東へ向かった可能性が挙げられている。
ただし、これらの主張はあくまで仮説やロマンの域を出ず、科学的な裏付けや考古学的証拠が十分に揃っているわけではない。にもかかわらず、こうした説が根強く残り続けるのは、「ヤマトの精神」に何かしらの大きな歴史的背景があるのでは、という直感が人々の中にあるからかもしれない。
ちなみにヤマトの語源はヤハウェとの説もあるそうです。
まとめ
神話とは作り話ではなく、“古代人が真実を残すために使った記号(暗号)”だとも言われる。すべてを真に受ける必要はないが、すべてを虚構として笑い飛ばすのも惜しい。
ヤマトという記憶には、現代の僕たちに必要な「何か」がある。
それは、争うでもなく従うでもない、ただ共に在るという知恵なのかもしれない。
大和(ヤマト)の語源として有力なのは
・奈良県の大和平野と言う地名
・ヤマトタケル(日本武尊) 英雄名起源説
・「ヤマ(山)」+「ト(門・処・郷)」という音韻・言語学説
・倭(やまと)転訛説(古称の変化)
・大いなる和(やわらぎ、和合) 説
虹の7色は混ぜるのではなく、和える。
虹の7色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)は、それぞれ違う色。
違うけど、空にかかると一つの美しい虹になる。
もし全部を混ぜてしまえば、色は失われ、くすんだ濁色になる。
でも、それぞれの色が自分の色のまま存在しながら調和することで、虹は輝く。
これは「混ぜる」のではなくて「和える」。
つまり、違いを消すことなく活かすこと。
「大和」という言葉には、本来「和(やわらぎ)」の意味が込められてる。
バラバラのままで争わず、それぞれの個性を尊重し合いながら共に在ること。
まさに、虹のように。
それぞれが自分の色のまま生きていて、それでいて一つの美しさをつくる。
それが和(あえる)=大和魂なのかもしれない。
以上参考になりましたら幸いです。
最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
コメント