タイトルのイメージで少し思想が強めな感じに受け取られそうですが、、、
でも確かに根強く反日教育は続いてて、その教育で育った大人たちが日本に謝罪をして欲しいと言い続けている。
「いつまでたっても韓国は謝ってほしいって言ってる」
「反日教育ってよく聞くけど、そもそも何が原因なの?」
今回は反日について深堀してみますね。最近ちょっと話題になった西尾幹二さんの動画があり、今回のブログのきっかけになった内容でした。
目次
国際法的ではとっくに解決している。のに
結論から言えば、この問題は国際法的にはとっくに解決済み。

では、なんで2025年の今になっても「謝罪と賠償」という話が出てくるのか?
そこには「歴史教育」「政治利用」「国民感情」…いくつもの層が絡み合ってる。
今回はその背景を、西尾幹二さんの思想や現代の論客たちの声も交えながら整理してみます。
法的にはすでに解決済み:1965年「日韓請求権協定」
まず大事なんは、日韓間の請求権はすでに最終的に解決しているという事実。
日韓請求権協定の中身
- 1965年 日韓基本条約と同時に結ばれた協定
- 日本が韓国に対して
- 無償3億ドル
- 有償2億ドル(低利融資)
を供与
この金額は当時の韓国国家予算の2倍以上。
そのお金で韓国はインフラを整備し、後の高度経済成長の基盤をつくった。
協定文にも「完全かつ最終的に解決された」と明記されてる。
つまり、国際法的にはこの問題は決着してる。
それでも繰り返された「日本の謝罪」

「解決した」とはいえ、日本は友好関係を保つために政治的な謝罪を何度も重ねてきた。
代表的な謝罪・談話
- 河野談話(1993年):「慰安婦」問題に対して公式に謝罪
- 村山談話(1995年):「植民地支配と侵略」を明確に謝罪
- 日韓共同宣言(1998年):小渕首相が金大中大統領に対して謝罪と反省を表明
- 2015年 日韓合意:日本政府が10億円を拠出し、財団設立 → しかし後に韓国側が財団を解散
ここまでしても、韓国からは「まだ謝れ」という声が繰り返される。
なぜ終わらないのか? 現代論客の視点
ここで少し視点を変えて、現代の論客たちの意見を見てみよう。

ひろゆき的「ビジネスライク」な見方
ひろゆきさんはよく、
「国同士は仲良くする必要ないんですよ。経済メリットがあれば付き合えばいい」
っていう立場をとってる。
つまり「感情論」や「歴史認識」にいつまでも縛られる必要はない。
合理的に国益を考えて動けばよい。という視点。
「いつまで被害者でいるのか?」
ネットや討論番組でもよく出てくる問い。
「被害者ポジションに居続ける限り、韓国は前に進めない」
という見方は、日韓の議論でしばしば聞かれる。
これは個人の発言というより、多くの日本人が共通して感じている疑問なんだと思う。
西尾幹二の視点:「自虐史観」と教育の問題

ここで、もうひとつ大事な視点を差し込みます。
評論家の西尾幹二さんは、戦後教育を通じて植え付けられた「日本悪玉論」を鋭く批判してきた人物。
代表作『国民の歴史』では、こう語っている。
戦後の日本人は、GHQによって「自分の国を信じられない教育」を受けてきた。
つまり、日本人自身が「日本は悪い国だった」と思い込んできた。
それが韓国や中国からの批判を無条件に受け入れる土壌をつくった。
要するに、問題が長引いてるのは韓国の主張だけのせいではない。日本国内の教育や意識の問題も関係してる、ということ。
背景にある「歴史の政治利用」
- 韓国にとって歴史問題は「外交カード」ですし、国内政治における「ガス抜き」でもある。
- 日本にとっては「自虐史観」が根を張り、謝罪外交を繰り返してきた。
この二つが噛み合って、問題が終わらないまま延々と続いてる。
まとめ:事実を知り、自分で考えること
ここまで見てきたように、
- 法的な解決は1965年で終わっている
- 政治的な謝罪も繰り返されてきた
- 経済的な支援も十分にしてきた
にもかかわらず、まだ終わらない。
その背景には「歴史教育」「自虐史観」「政治利用」が絡んでる。
西尾幹二さんの視点は、
「日本人が自分の歴史をどう受け止めるか」こそが、この問題の核心だと教えてくれる。
個人的には、この問題に対しての温度感も世代で違い、理解度も全然違う。
でも知らない、わからない、でほっとかないで
自分で調べて考えることが大事なんだと思う。
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