2026年は六十干支で言うところの
丙午(ひのえ うま)。
干支については以前のブログを参照してもらえると助かります。
目次
2026年「丙午」と、2025年「乙巳」からの流れ
丙午(ひのえ うま)という言葉には、昔から強いイメージがまとわりつく。
激動、対立、破壊。

メディアや占いの文脈では、どうしても煽り気味に語られがちになる。
ただ、それらの多くは「振り返ってみればそう見える」という話。
その時代の当事者がその瞬間に感じていた温度や判断は、もっと曖昧で、もっと必死だったのかもしれない。
大切なのは、出来事のラベルではなく、
その時代を生きる側が、どんな姿勢で向き合うか。
社会の熱は、想像以上に身近にある
今の社会には、常に熱がある。
SNS、世論、空気、常識。
どれも正しさをまといながら、かなりの速度で流れていく。

世の中の流れに気づかないうちに巻き込まれ、
気づかないうちに「選ばされていた」と感じる場面も増える。
なんとなく、空気を読んで
なんとなく、みんなもやってるし
なんとなく、リポストしてみた。
そして その流れに乗った”結果”を引き受けるのは、
社会でも、空気でもなく、個人になる。
外側がどれだけ騒がしくても、
人生の責任は、静かに個人へ戻ってくる。
流されることより、無自覚であることの方が厄介
筆者の若い頃は、
「周りの大人たちは、自分より深く考えている」
そんなふうに思っていた。

でも実際は、
その場のノリだっり、空気で決まっていることも多い。
深く考えている人ほど、むしろ静かだったりする。
失敗した人、痛い思いをした人、
選択の結果を引き受けてきた人だけが、
「自分で選ぶ」という感覚を、少しずつ身につけていく。
流されること自体が問題なのではなく、
無自覚なまま、選択の主体を手放してしまうことが怖い。
2025年は準備の年だった、という感覚
2025年(乙巳)は、
「脱皮」や「整理」の年だったそうです。
過去の成功体験にしがみつくのか。
違和感のある人間関係を続けるのか。
自分をごまかしたまま進むのか。

大きな変化が起きた人もいれば、
何も起きなかった人もいる。
でも実際には、水面下で差が生まれていたのかもしれない。
火は、破壊するためにあるわけじゃない
丙午(ひのえうま)の年を火(強い光)と現すことが多い。
そして火は危険。
扱いを誤れば、簡単に身を焦がす。

けれど火は、
照らすことも、温めることも、前へ進むためにも使える。
重要なのは、火を消すかどうかではなく、
火との距離を、自分で決めているかどうか。
外(他人)の熱狂に合わせて自分を焼き切る必要はない。(疲弊)
同時に、騒がしさを理由に、
自分の中の関心や信念まで消してしまう必要もない。
静かな火を、持ち続ける
ここで言う「火を消さない」とは、
他者向けに大声を上げ続けることでも、他者に戦い続けることでもない。
自分なりのこだわり。
こうありたいという感覚。
なりたい自分への道筋。
それらを、他人の評価や空気で手放さないこと。
静かでもいいから、持ち続けること。
丙午の火(強い光)は、
人を試すためだけではない。
自分が大切にしてきたものを、
よりはっきり照らすための光にもなり得る。
締めに
丙午の年について火(強い光)の年になるそうで、色々準備や覚悟をした方がいいと書きましたが、
だが、完璧である必要はないし、
正しさを証明し続ける必要もない。

ただ、
「選んだのは自分」と言える感覚だけは、手放さずにいて欲しい。
火は消さなくていい。
恐れて遠ざかる必要もない。
その距離を、自分で決めていればいい。


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