『記憶はどこにあるのか』スマホ認知症(スマホ健忘)から海馬・水記憶へ 《記憶 × 記録 × 自我》

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知識を『まったり探求』している
タクヤの備忘録です。

今回 深堀したのは《記憶》についてです。

最近 記憶喪失の人のニュースがあり、

現金60万円だけコンビニ袋に入ってて、財布に身分証明書や自分に繋がるモノがなく、その時 モヒカン頭だった為、その髪型を続け、番組で情報提供を募ってたそうです。

脳のどこに記憶している?

記憶というものを語るとき、よく名前が出てくるのが「海馬」。
脳の奥にある小さな器官で、新しい記憶をいったん預かる“司令塔”のような役割をしていると言われてる。《短期記憶》

一旦 海馬で覚えた後に、大脳皮質へ情報を転送した際、《長期記憶》になるそうです。

だが本当に大脳皮質は記憶の《倉庫》なのだろうか?

僕らの身体は、実は90日ほどで細胞がほぼ全て入れ替わっているらしい。(新陳代謝)
生物学者の福岡伸一先生の言葉を借りるなら、人間は「動的平衡」の存在。

動的平衡とは
生命は絶え間なく自らを壊しながら作り直すことでバランスを保っている。

脳も例外なく細胞であるならば、記憶を有した細胞も入れ替わってるはず。

テセウスの船

英雄テセウスが乗っていた船の木材が老朽化するたびに、新しい木材に交換していきます。最終的に、船を構成するすべての木材が新しいものに置き換えられました。このとき、その船はまだ「テセウスの船」と呼べるのか?


僕らの身体も、知らない間にすっかり違う素材に置き換わってるはずなのに、それでも「私の記憶」は続いてる。
これは少し不思議かもしれない。

昨日も今日も僕は僕で、自分であることは当たり前のように《記憶》している。

スマホ健忘症とは

思い返せば、僕が小学生の頃はスマホもなく、友達の家の固定電話の番号を何件も覚えてた。

だがスマホが登場してからは、番号なんて一切覚える必要がなくなった。

便利さの裏で、脳と出来事の結びつきは薄まっていったように感じる。
手を動かして書く日記なら記憶は定着するのに、フリック入力のメモは頭に残りにくい。
「記録」すれば済むから「記憶」しなくてもいい。

記録は
脳の外にある客観的で固定された情報

記憶は
脳の中にある個人的で流動的な情報


記憶せずに記録した結果、脳と出来事の“結びつき”がだんだん弱まっていき現代の病 スマホ健忘症(スマホ認知症)に繋がっていく。

スマホ健忘症(スマホ認知症)
スマートフォンに情報を頼りすぎた結果、自分の記憶力が低下してしまう現象のこと。
スマホが電話番号やスケジュール、地図などの情報をすべて記憶してくれるため、自分で覚える努力をしなくなり、いざスマホがないと何も思い出せない、といった状態を指します。

水記憶とは

ここで面白い説がある。
「記憶は脳だけにあるのではなくて、水に宿る」――そんな仮説。
人間の身体の6〜7割は水でできている。
もし細胞が入れ替わっても、体内の水や分子のネットワークに“私”の痕跡が残っているとしたら?
あるいは麻酔のように、一滴の薬が体内の水分子に作用して意識を一瞬で遮断するのだとしたら?
記憶の座は、海馬を超えたどこか――フィールドのような場所に広がっているのかもしれない。

扁桃体と感情の色

記憶には、感情の色が深く関わってる。
脳の奥にある扁桃体は、喜びや恐怖などの感情を司る場所。

強烈な感情が伴うと、扁桃体と海馬が連携して記憶を強化する。
だから初恋の記憶や、事故の恐怖はなかなか消えない。


記憶の再構成という不思議

さらに興味深いのは、記憶は固定された過去の映像ではないということ。
思い出すたびに脳は「今の自分」に合わせて書き換える。

これを「記憶の再構成」と呼ぶ。
その結果、虚偽記憶や小さな記憶違いが生まれる。

つまり、記憶は「倉庫」やなく「流れ」だと言える。


水記憶と身体のネットワーク

もし、記憶が海馬や扁桃体だけでなく、身体の水や意識のフィールドにも刻まれているとしたら――。

感情や再構成の影響は、脳に留まらず全身へ広がるかもしれない。
僕らの自己同一性は、脳と水、意識が絡み合った動的な現象。
揺らぎながら続く「私」そのものなんやろな。

自己同一性(アイデンティティ)
「自分は自分である」という感覚や確信のこと。
これは、時間が経ち、環境や状況が変わっても、変わらない「自分らしさ」や「自分であることの連続性」を指します。

記憶を失ったり、大きな環境変化に直面したりすると、「自分は誰なのか」という感覚が揺らぎ、「自己同一性の危機」に陥ることがあります。

記憶と現代社会 ― スマホ認知症と若年性認知症

スマホは外付けハードディスクみたいな存在。
便利だけど、覚える力は衰えつつある

最近では「スマホ健忘症」「スマホ認知症」という言葉もある。
検索すればすぐ答えが出るから、脳が本気で記憶する前に「外に預けるクセ」がついてしまう。

その延長線上には、若年性認知症やストレス性の記憶障害もある。
現代社会の情報過多とストレスが、記憶の揺らぎをさらに大きくしてる。


忘れる力の意味

でも、忘れることは本当に悪なのだろうか。

脳は不要な情報を消去することで、新しい情報を受け入れる余白をつくる。
もし全てを忘れない脳を持ってしまったら、それは地獄に近い。

つまり、「忘れる力」もまた進化が選んできた大切な機能だと言える。


結び ― 記憶はどこに宿るのか

結局、記憶は脳に閉じ込められたものではない。
感情や身体や水の流れと結びついて、揺らぎながら存在している。
そして忘れることすら、その流れの一部。

外部記憶装置としてのスマホと、内部で再構成され続ける記憶。
両方をうまく使い分けることが、これからの時代を生きる僕らに求められてるのかもしれない。


あなたの記憶は、脳の奥にあると思いますか?
それとも身体や水、意識の流れに宿っていると思いますか?


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